窓の外では、私の子供たちが庭を縦横無尽に走り回っています。その笑い声を聞くたびに、私は決まって**「あの日」**のことを思い出します。
「壁を気にせず、どこまでも駆け抜けていける高揚感。あの日、友人の家の広い庭で感じた『世界の広さ』と『無限の自由』という輝きが、私の人生の原点です。」
はじめまして、「そこそこ」と申します。
地方郊外に移住して10年。今でこそ、ビジネスの知恵やマネーリテラシーを駆使して「生存戦略」を練るフクロウのようなスタンスで発信していますが、10年前の出発点は、驚くほど無鉄砲でした。
当時の私には、緻密な移住計画も、将来の家計シミュレーションもありませんでした。 あったのは、狭い家で育った自分が抱き続けてきた「いつか広い庭のある家に住みたい」という純粋な渇望と、地方出身ゆえの「田舎なんて、住めばなんとかなるだろう」という心地よい油断だけ。
戦略も知識もゼロ。ただ「あの日の鬼ごっこ」を我が子にもさせてあげたい一心で地方都市を飛び出した私が、移住後にぶつかった現実の壁、そしてそこからどうやって「最適解」を見つけていったのか。
今回は、このブログのすべての始まりである、私の**「移住の原点」**についてお話しします。
記憶の中の「広い庭」が、私の原点だった
私の実家は決して広くありませんでした。一つの家屋に2世帯が入居する長屋で間口が狭く奥行きのある家で、当然庭も狭く、家で窮屈に過ごすのが当たり前だった子供時代でした。だからこそ、たまに遊びに行く「広い庭のある友達の家」は、まるで別世界でした。
「いつか自分も、子供がのびのび走れる家を持ちたい」
その小さな種が、第一子の誕生をきっかけに、当時住んでいたアパートの中で静かに疼き出したのです。「ここじゃない。あの自由を、我が子にも味わせたい」と。
「地方出身」という名の、心地よい油断
移住を決める際、不安はほとんどありませんでした。私も妻も地方育ち。「田舎なんて住めば都だよね」という共通認識があったからです。
当時はビジネス書もマネーリテラシーも皆無。
「仕事も生活も、知っている場所に戻るだけ。なんとかなるさ」
そんな心地よい油断を抱えたまま、理想だけを詰め込んだ引越しトラックで、私たちは都会を飛び出しました。
現実という名の壁、そして「知恵」との出会い
しかし、現実は甘くありませんでした。 手に入れた広い庭は、維持するだけでも膨大なコストと労力がかかります。薪ストーブを稼働させるために薪を調達しなければなりません。世帯主として向き合う地方の家計管理や地域のしがらみは、子供の頃に見ていた風景とは全く別物でした。
「思い」だけでは、この自由を守りきれない——。
その危機感から、私は必死にビジネス書を読み、生活習慣・業務効率化・健康・マインド・お金の知識を学び始めました。泥臭い田舎暮らしを、いかに「ビジネスの思考法」で整理し、最適化していくか。10年かけてようやく、あの日の純粋な願いを、確かな知識で守れるようになったのです。
結びに:100点満点でなくていい
知識は後からいくらでも補えます。でも、最初にあった「こうしたい」という熱量は、あなただけの宝物です。
完璧な移住なんて、しなくていい。 このブログでは、私が遠回りして手に入れた「そこそこ幸せに、賢く生き抜くための知恵」を余すことなく共有していきます。
あなたの「原点」は、何ですか?
以上、そこそこがお送りしました!

