移住当初、私の頭の中には「丁寧な田舎暮らし」というキラキラした理想が詰まっていました。
広い庭を耕して自給自足し、すべてを手作業でこなす……。
しかし、10年経った今の結論はこうです。
「田舎暮らしは楽しみ尽くすべきだが、時間は取られすぎてはいけない」。
今日は、私が完璧主義を捨てて手に入れた「賢く、しぶとい」庭の管理術をお話しします。
「野菜づくり」は自然の生命力に丸投げ

最初は鼻息荒く始めた菜園でしたが、毎日の管理に追われては本末転倒です。
今の我が家の庭は、私のこだわりではなく、勝手に生き残った精鋭部隊が占拠しています。
アスパラガス、青しそ、みょうが、しいたけ、そしてハーブ類。
これらは、放っておいても時期が来れば勝手に顔を出してくれます。
「育てたいもの」から「勝手に育つもの」へ。収穫の楽しみだけをいいとこ取りする、これが私流の「そこそこ菜園」です。
「機械」と「設計」で、時間は自分で作る

田舎暮らしの二大重労働といえば「草刈り」と「薪割り」。
かつては根性で向き合っていましたが、今は徹底的に「仕組み」と「機械」に頼っています。
- 草刈りは「サッカー場作り」へ: 雑草を抜くのをやめ、庭を「芝生」に変えました。さらに、芝刈り機が最短時間で動かせるよう、芝の形状を工夫して設計。これにより、作業時間は劇的に短縮され、同時に子供たちが思いっきりサッカーを楽しめる「最高の遊び場」が誕生しました。
- 薪割りは「機械」でショートカット: 斧一本で割るロマンもいいですが、時間は有限です。薪割り機を導入したことで、体力と時間を大幅に節約。浮いた時間で、薪ストーブの火を眺めながら本を読む余裕が生まれました。
ハード整備に頼りきらない「工夫」の節約術

防草のために庭全体をコンクリートで舗装すれば楽かもしれません。
しかし、それには膨大なコストがかかります。
正直に言えば、そんな予算はありません(笑)。
だからこそ、舗装などのハード面に頼りきらず、芝の配置や管理の仕組み化という「知恵」でカバーする。
お金をかけずに工夫で解決するプロセス自体も、今ではビジネスの課題解決に似た楽しさを感じています。
「役員」という重圧と、ビビりな私の処世術

避けて通れない地域の「役員」も、ビビりな私なりに攻略中です。
「なるべくやりたくない」という本音を抱えつつも、地域が良くなることは自分にとってもプラス。
無理に自分のやり方を押し通すのではなく、地域の大先輩たちに「これ、どう進めるたらいいですか?」と教えを乞いながら、ゆっくり進める。
自分の進めやすい形と、地域の伝統を少しずつ擦り合わせていく。
そうして誠実に役割を果たすことで、いつの間にかこの場所が「本当の居場所」になっていきました。
幸せのハードルは、60点で

「せっかく移住したんだから、完璧に田舎暮らしをやらなきゃ」
その思い込みを捨てて、幸せのハードルを「そこそこ」に下げたとき、本当の自由が手に入りました。
機械に頼り、自然の生命力に頼り、周囲の知恵に頼る。70点、あるいは60点の出来栄えでも、家族で笑って過ごせる「余白」がある。
それこそが、10年かけて見つけた、私そこそこの最適解です。
以上、ご覧いただきありがとうございました。

